「アーケード上がり」必見の鼎談記事と遠藤雅伸さんのこと

「「ゼビウス」がなければ「ポケモン」は生まれなかった!?」

素晴らしい企画・読み物でした。みなさんもぜひご一読を。

先日偶然同僚に教えて貰ったこの記事「「ゼビウス」がなければ「ポケモン」は生まれなかった!?」が大変興味深く、ぐいぐいひきこまれてしまいました。読みごたえ十分の素晴らしい記事で、電ファミニコゲーマーさんには感謝したいです。


遠藤雅伸さんと言えばもちろん「ゼビウス」「ドルアーガの塔」をはじめとした数々のゲームを手がけたことで知られる方ですが、個人的には現在のゲーム研究者としての活動にすごく共感し、尊敬しています。
この鼎談は、ポケモンで知られるゲームフリークの田尻さん、杉森さんと主に80年代のアーケードゲーム文化とゼビウスに関する制作時の裏話的に進んでいきます。
実際に読み進んでいただければわかりますが、現代とはかなり異なる時代背景の中でも、遠藤さんがどのようにゲームの要素ひとつひとつを練り込んでいったか、また、それが次世代にどのように受け継がれていったかというのが非常に克明に描かれています。


「アーケード上がり」の矜持


この記事の個人的クライマックスは、3ページ目の「ゲームフリークは”アーケード上がり”?」でした。

自分自身のゲームの歴史はアーケードゲームにありまして、あくまでアーケードゲームありきの80年代を原点としてきました。その後、ゲームの世界はファミコンの登場から徐々に家庭用へと軸足を移しています(2016年現在はまた少し違った状況ではありますが、それはまた別のお話)。


クインティ ROMカートリッジ

ゲームフリークの初タイトル「クインティ」

そんな自分からしてみれば、家庭用とは言え、アーケードゲームらしさをもったゲームに引き込まれていくのは至極当然ではありました。しかし、それがどうしてなのか、なぜ面白いと感じるのかということが、うまく言語化できずにもやもやしていたのもまた事実で。
ことの良し悪しは別にして「アーケード上がり」「パソコン上がり」と称されたそれぞれの起源を持ったゲームの特徴や、アーケードゲームのエッセンスについてのコメントは自分の疑問に対するひとつの回答であったように思います。


研究者としての遠藤雅伸さん


4ページ「難易度上昇は、ゲームにとって本質的ではない」では、研究者としての遠藤雅伸さんの「覚悟」も垣間見ることができます。

遠藤氏:
 日本のゲームデザインというものを、早く言葉にしなければいけない……と思ってるんですね。

自分はここ何年かずっと「自分の好きな「ゲームの面白さ」って何だろう」ということをぼんやり考えています。それは爽快感であったり、達成感であったり、いろいろな要素が含まれていますし、プレイヤーへの仕掛け方というのもジャンルやハードによって違います。
「ゲームの面白さ」について考えることは大変楽しいことなんですが、いちプレイヤーとしての思いとは違う遠藤さんの「覚悟」は、日本のゲームデザイン手法をメソッドとして残すこと、それを浸透させる為に学位も必要であること、などとして語られています。


遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況中継 書影

「"面白い"とは何か?」に向き合う一冊

記事では直接言及されていませんが、遠藤さんの著書「遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況中継」はその第1章とも言える一冊で、帯にはまさに直球で「"面白い"とは何か」と書かれています。
誰もが認める経験と実績をもってしても、さらに真摯に「面白い」を追求し続ける遠藤さんの姿勢は本当にかっこいいなぁと思い、鼎談記事のゲームフリークのお二人も、そういった部分に惹かれたのだろうなと感じました。


遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況中継
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「遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況中継」はKindle版も発売されていますが、個人的には書籍版がおすすめです。もちろん順に読み進むのもよいのですが、自分の興味のあるジャンルからパラパラと読み進むのもまた楽しいものです。

ちょうど日本科学未来館で開催中の企画展「GAME ON〜ゲームってなんでおもしろい?」や今回ご紹介した電ファミニコゲーマーでの新コラム「なんでゲームは面白い?」など、ビデオゲームの「面白さ」にスポットが当たっているように思います。
みんなでわいわいと楽しむゲームのように、その面白さについて語り合うのも相当に楽しそうですね。
それではまた。


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